2012年4月29日日曜日

かながわmagazine/ちょっと歩いてみる「大山道/青山通り編1」


1.赤坂見附〜溝の口

神奈川の街道を歩いてみるシリーズ(いつからシリーズになったの?)第2弾は「大山街道」。いや、正確には青山通り大山道ってやつですか? 私は今まで大山街道=大山道だと思っていたのだけど、どうやら大山道というのは関東各地から大山に向い幾筋にも開けていて、1本の道だけを示すものではないようなのだ。大山参詣が盛んだった江戸時代には、神奈川県内に網の目のように発達していたそうだ。そういえば、東海道を歩いている時にもいろんな場所で幾度となく「大山道」の標識にお目にかかったっけ。

いずれは大山道全踏破を目指すことにして(ホントかな?)、一番身近な青山通り大山道(矢倉沢往還の途中から大山を目指す)から始めてみることにした。子供の頃からなれ親しんだ国道246号線をなぞるルートである。東海道のとき同様、ちょいとお手軽に、いってみれば長めの散歩気分で歩いてみるつもりだ。このお気楽な企画、吉と出るか凶と出るか。まあ、先のことは深く考えずボチボチ歩いてみましょうか。

スタートは江戸赤坂御門。永田町駅から地上に出ると程なく赤坂御門跡を発見。わずかな石垣が高層ビルと高速道路に挟まれてひっそりと残っているだけである。とっとと写真を撮り、赤坂見附の交差点まで戻って来て、青に変わった横断歩道を渡ろうとすると、すぐ傍にいた警官に「はい、少々お待ちください」と止められる。「え〜、何でだよ、青なのに渡っちゃダメなのかよ」と心の中で悪態をつく。聞けばこれからここを皇太子殿下が通られるとのこと。「ええ〜っ!」とキョロキョロすれば、今まさに白バイに先導され厳重警戒の自動車が数台右手四谷方面から走って来る。「どの車なんじゃ?」あっという間に目の前を皇太子殿下のお車が通過。チラと見えた!……ような気がした。ラッキーだった(何が?)。この絶妙な� ��イミングって2度とないことだよね。同じ交差点にいたとしても、この場所じゃなきゃダメだったわけだから。これってさい先いいんじゃない?


ハチドリのニッチは何ですか?

すっかり気を良くして青山通りの坂道を登る足取りも心持ち軽やか。スタスタと豊川稲荷に立ち寄り大小さまざま、ズラ〜ッと並んだ狐を眺め、スタスタとまだ青い神宮の銀杏並木を横目に、あっという間に表参道まで到着した。いつしか人も車も増え、広めの歩道とはいえ少々歩きにくい。普段は車で通り過ぎるだけの街をこうやって歩いてみるのも、なかなか感慨深いもの。新たな発見があるかもしれない。

宮益坂を下り、駅のガード手前右にのんべえ横丁がある。ずっと前ほんの一、二度ここで友達と飲んだことがあったっけ。昼間で開いている店もないが、フラフラと吸い寄せられるように寄り道をした。小さな一角に小さな店が集まったなかなか楽しい所だったな。

ハチ公前のスクランブル交差点を抜け、道玄坂を上る。渋谷はかつて、私にとって飲んだり食ったり、買い物したりの街だったが、最近はせいぜい乗り換えで降り立つくらいで、渋谷の街を歩くなんてことはない。歩いたとしても目的地にひたすら向うだけで、ただ通り過ぎているようなものだ。特に道玄坂なんて、何年ぶり、いや十何年ぶりだろう。パッと見は変わりないようだけど、よく見りゃ古いビルが壊され、新築工事があちらこちらで行われている。まるで浦島太郎になった気分だ。昔の街を思い出しながら歩いていたら、いつのまにか道玄坂を上りきり再び246号線に合流した。


泥炭フォームがどのように?

環状6号との交差点付近では中央環状新宿線のジャンクションの大工事で凄いことになっていた。池尻から旧道に入ると、裏通りは思いのほか静かでとても道1本向こうを246や首都高が走っているとは思えない。矢倉沢街道=国道246をイメージしていたので、東海道の時と同じようにひたすら国道を歩くだけの辛い道のりを覚悟していたのだが思いのほかユルユルだ。246に戻っても歩く物珍しさからキョロキョロしているうちに三軒茶屋まで着いちまったぜい。楽々、楽勝! 今日はほんの足慣らしの予定だったのであえなくここで終了。ごほうびにランチでもと、あちこちなんとも雰囲気のある小路に分け入るがなかなか決められず、結局表通りにある庶民的中華レストランに入り、おいしい石焼きキムチチャーハンをいただきましたと さ。って石焼きキムチチャーハンって中華か?

日が改まって、再び三軒茶屋に降り立つ。その昔、三軒の茶屋があったから三軒茶屋の地名がついたそうだ。もちろん、茶屋はあとかたもなく消え去り……と思っていたら、なんとそのうちの一軒は残っていた! さすがに茶屋は営んではいないが、瀬戸物屋として屋号は残っている。いつもは「サンチャ、サンチャ」といっているからイワレなんか聞くとまんまジャンって感じだよ。古い地名はおもしろいね。

ここからは世田谷通り方面の旧道を行くか、246方面の新道を行くかちょっと悩む。でも古道を歩くんだっていってんだから、旧道かな。ってんで、世田谷通り方面を行くことに。ボロ市が開催される通称ボロ市通りに進む予定だが、曲がる目印の寺がなかなか現れない。東海道で道を間違えて、来た道を戻ったりした悔しさが脳裏に蘇る。でもいくら私がオッチョコチョイだからって、目印の寺を見落とすことはないよな……多分、ちょっと自信ないけど。不安も最高潮に達する頃、やっと寺が見えてきた。ただ単に距離感がなかったってことだけなのね。


"藍銅鉱とは何か"

今回は地図を見ながら歩いているわけではないから、まあ大変なこと。そもそもちゃんとした大山街道の地図なるものを探せなかったのだ。大筋で246に沿って行けばいいことくらいはわかるが、旧道となると何も手がかりがない。そこで既に街道を歩いた方の記録を元に、目印となる場所をメモった紙を地図代わりにすることにした。これがまたいい加減なメモで、距離感も何もあったものじゃ〜ない。いや、元々の記録はちゃんとしたものだが問題は自分用のメモにしたときに、ちょいとばかり手を抜いてしまったからなのだ。これじゃ、何の意味もない。

ボロ市通りはかの有名な世田谷ボロ市が開催される通りらしいが、ボロ市やってなきゃ、単なる裏通り。車の通りもさほど多くはない。代官屋敷を探していたら、それらしき門構えのお屋敷が見えてきた。これかなと確信がもてないまま、念のため写真だけは撮影した。ここから5分ほど歩くと、代官屋敷の標識が見えてきた。え〜?、ということは、さっきのは単なる立派なお宅だったってことか。写真なんか撮って不審者に思われなかったかな。おまけに服装は帽子にサングラス、住宅街をふらふら歩いて写真を撮る。これじゃまるで泥棒の下見ジャン! 気を取り直して代官屋敷に入ったが、古めかしい建物も庭も土間もしっかりと存在感を放っていた。これだけのものをこの場所に保存していくのも大変だろうけど、だからこそ残 していって欲しい。


この後、住宅街を抜け、どうやら用賀あたりまで来た様子。ここで大山道の石柱の道標を写真に撮っていると、近所のおばさんが何やら話し掛けて来た。文句でも言われるのか? と一瞬身構えたが
「よくその棒を撮ってる人いるけど、一体なんなのそれ」ときたもんだ。
「昔、ここは大山へ向う街道で、その道標なんですよ」と答えると
「ふ〜ん、よくわかんないけどその先にも棒があるから、それも撮っていったら」と親切に教えてくれる。おばさんが教えてくれた棒とは「水道みち」の道標だった。このおばさんの勢いに圧倒され、いつしか道を見失い……気が付けば用賀インターに出てしまった。いやこれは絶対におかしい、どこで間違えたのだろう? メモを見直したところでいい加減なメモじゃ役にはたたない。� ��とまず用賀駅に戻り交番で聞くことにした。

どうにか軌道修正をして無事に環八を渡る。神社を過ぎ、急坂を下れば二子玉川、通称ニコタマである。高島屋裏の昔ながらの商店街を抜け、多摩川まで辿り着いた。さて、二子の渡し跡を探すか。多摩川沿いに河原付近、側道付近と探しながら歩く。が、そんなものはどこにも見当たらない。いくら粗末にされていても、ないはずはない。諦めて帰ろうとしたら、道の向こうの建物の脇にそれらしきものを発見。どうやらここに移動されたらしい。「こんなところにあったんじゃ渡し跡でも何でもないんじゃないの。元あった場所にちゃんと置いといて欲しいもんだよ」。ぷんぷん。
多摩川を徒歩で渡るなんてもしかして初めて? いや一度くらいは渡ったことあるかも。河原のあちらこちらでは大バーベキュー大会が開催中で、� �の賑やかなことといったら、ぶったまげもんだ。どうせならもっと空気のいいところで楽しめばいいものを、なにもこんな電車や車がひっきりなしに行き交ううるさい橋のすぐ下でやらなくてもね。まさか賑やかな場所じゃなきゃ場がもたないっていうのじゃなかろうが。


橋を渡ると二子新地。とうとう神奈川県に入った。ここから溝の口までは所々に古い建物も残り、街道の面影を残す貴重なエリア。いや、この辺りは子供の頃から知ってるので、いまさらって感じはあるけどね。その昔は狭い通りを車がガンガン通っていたのに、今じゃ交通量もめっきりと減った。それでも地元商店街では「大山街道」を残そうとして積極的に活動をしているようだ。大山街道ふるさと館もひっそりとあった)ここは前に寄ったことがあるので今回はパス)。

この通りには岡本かの子の実家「大貫家」や国木田独歩が「忘れえぬ人々」で一夜の宿を頼んだ「亀屋」があった。いずれも今はもうないが、私が子供の頃には確かにここに存在していた。たったうん十年前のことなのに、こんなに簡単になにもかもなくなっていいものだろうか。見なれた街を歩き、いつしか溝の口に到着した。

(2006.10.21、11.3)



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